え!これっていいの? 丸の内再開発ビル床面積の肥大化
本にも載せたが、2000年以降の再開発ビルの床面積の肥大化はクレージーと言える状況である。
丸の内の状況に驚いたが渋谷や外苑前の開発もひといよ!
容積制度への誤解?
今回の原稿を書くにあたって、前川先生が当時書かれた文章を読み直してみた。その中の「超高層ビルの意味、それはアメリカコンプレックスでなない」(1967.12.20)「建築の前夜、前川国男文集」所載)に大衆のなかにある超高層ビルに対する誤解について説明している内容がある。誤解は、
- 災害における危険
- 交通難の増大
- 自然を破壊し、緑と太陽を市民から奪う
の三つだが、その内(1)(3)に対する反論は今なお生きているが、(2)に対する反論は現在の都市開発状況を考えると、とてもそんな反論は出来ない状況である。前川先生は、
「超高層ビルができると交通難が起こる」という意見も容積地区制に対する知識の不足に基づく誤解である。容積地区制というのは特定の地区に建つ建築の許容容積(床面積と考えていい)を想定して、この容積を太く平たく建てても細く高く建ててもよいという意味だから、超高層を建ててもそこに建つ建築の床面積の総和、(したがってそこに働く人たちの数がそのために増えるということではない。』
と説明しているが、現在の丸の内地区の開発状況はこの説明とは全く異なる状況を呈している。
丸の内地区再開発ビルの容積の実態
1988年に東京海上ビルの建設に反対していたあの三菱地所から「丸の内マンハッタン計画」なる途方もない計画が提示された。その内容は丸の内を高さ200m程度、40~50階の超高層ビル約60棟を建設し基準容積を1,000%から2,000%に延床面積を472万㎡から1,200万㎡と3倍近くにする計画であり、世の中の人々を呆れさせて。(ちなみに、この計画で海上ビルは他と同じ200m位の超高層に建て替わっている。)
しかし、地域の地主達を巻き込んで、大手町・丸の内・有楽町(大丸有)再開発計画推進協議会が同年作られ、その活動が力となって、都・千代田区・JR東日本も参加した大・丸・有まちづくり懇談会(1996年)となり、自治体も加わっての容積率等の緩和が進められた。東京都の「都市開発諸制度活用方針(2003年)」のもと、「大丸有地区」の容積率は大幅に緩和されていく。基準容積が1,000%の丸の内地区は1,300%までの緩和がなされた上、最初は、1,000%を越える部分の用途は非業務の育成用途(文化・交流・商業等)に限定されていたが、丸の内のような都心等拠点地区は、「IT化や就業者一人当たりのオフィス面積の増加など就業環境や就業形態の変化により業務床の増加がそのままインフラへの過大な負荷にならない場合がある」として、緩和容積を業務床とできるよう変更された。
こうした東京都との公民協調によって丸の内では現在基準容積を大幅に超えた超高層ビルが乱立している。例えば、
丸ビル(2002完成) | 敷地面積 | 10,029.45㎡ | 延べ床面積 | 159,907.74㎡ |
新丸ビル(2007完成) | ゛ | 10,021.31㎡ | ゛ | 195,489.67㎡ |
である。
丸の内を国際的ビジネスセンターとすることも重要かもしれないが、容積制度を設立して、都市の巨大な過密化を防ぎながら、広場を確保し、緑と太陽を採り入れようとした都市計画の基本はどこに行ってしまったのだろう。
本当にこれでいいのだろうか。
30年以上も前から、テレワークの社会実験を推進し、都市の過密防止と仕事のあり方の見直しを訴えてきた人間としては、covid-19による思いがけないテレワークの普及で見えてきたことと、巨大容積ビルの乱立とは相容れない関係に見えてしょうがない。前川先生は、あの世でこの状況を見てなんとおっしゃるだろうか。第二次大戦後のコルビュジェの嘆きだろうか。
「二十世紀はカネのために巨大な建設はしたけれども、人間のタメには何ひとつ建設しなかった」という。
文責:水野 統夫(発起人)