書籍『えっ! ホントに壊す!? 東京海上ビルディング』の一部をご紹介します


『え!ホントに壊す!?東京海上ビルディング』

香山壽夫
行幸通りの「東京海上ビル」

東京大学名誉教授
建築家

皇居のお濠りに石垣が無くてはならないように、日比谷通りと行幸通りの角には、この優雅にして格調のある建築が無くてはならない。「一丁倫敦」と呼ばれた重厚な煉瓦街も無くなり明るく朗らかな丸ビルも、みな消えてしまったが、この建物はもっと昔からここにあったかのように、しっかりと根を下して立っている。こういう建築を無くしてはならない。皆で、大切にしていかねばならない。

本郷にある私の研究所から東京駅に向かう時、日比谷通りを下りてきた車はこの角で左に回る。垂直に、すっきり立つこの建物が、回転軸であるかのように。すると眼前に、東京駅が鮮やかに伸び広がる。東京の町に住んで与えられる最高の光景のひとつだ。皇居前和田倉門から、正面に東京駅を望む風景も、東京の最も美しい風景だが、その時も、水平の東京駅に対し、垂直に立つ東京海上の姿は欠かせないものだ。見るたびにその見事なバランスに感心する。

遠くからから見る全体のかたちだけでなく、近くに寄って見る様々な細部のかたちにも感心する。建物全体の外壁を包む重厚な赤褐色のタイルは、目地が深く、煉瓦造りよりも重々しく、同時に普通のタイル貼りより柔らかく優しい。建築が、人を内側に包む力に求められる、その確かさと優しさが、そこにあるのだ。

この建物外壁は、四面共、規則的に繰り返される縦横の柱・梁の格子で構成されている。

その彫りの深い外壁の奥に窓がある。そのひとつひとつの窓は、なんと力強くかつ柔軟なことだろう。外から見るだけで、中で働く人の喜び、あるいはひとりひとりの人格がにじみ出ているように感じられる。これはこの建築の類い稀な特質と言える。特に近頃の、ガラスの皮膜で、上から下まで、四周を切れ目なく、ぬるぬると包んだオフィスの、中に働く人の個性も人格も尊厳も、消去された建築と比べた時、その思いを深くする。この建築には、人格があり、尊厳がある。この中で働く人は、幸せだろう。それを見ながら、その前に立つ人も、幸せになる。

こういう建築には長く残ってもらいたい。

どういう建築を残すべきか。その理由には人にとっていろいろあろう。歴史的価値があるからとか、あるいは、モダニズムの傑作だからとか、様々な理由があげられよう。しかし古い建物であろうと、モダニズムの傑作であろうと、なんであろうと、全てが良い建物だとは限らない。そう私は思う。残す価値があるとは、それが良い建物である場合だ

この建築は良い建物だ。そして町にとって、東京の町にとって必要な建物だ。だから大切に残してほしい。残したい。そう私は思う。